大和ハウス工業 創業者 石橋信夫氏
伝説先生型、信念追求派、探求上手
閃いたアイデアを一回限りのものとはしないで、
世の中の流れを的確に読み取り、10倍、100倍に変えていく。
流行を追っかけるのではなく、5年、10年後を見越して
先を読む事がポイントになるのです。

多くの業種が成熟の域に達しているため、新参者が入る余地は残されていないように思われます。

しかし、視点を180度変えてみれば、まだまだ手がつけられていない部分が残されているのではないでしょうか。

「住宅は木造でないといけない」という概念を、取り去って「プレハブ住宅」を生み出した石橋氏の発想を伺って見ましょう。

  戦後、復員して間もない時に、関西地方を襲った大型台風。
見るも無残に吹き飛ばされた住宅を目にして、
その悲惨さを哀れんでいた石橋氏は、ふと住宅の周りにある、
田んぼの稲や、竹林の竹が折れていないことを不思議に思ったのです。

頑丈な木造で作られている住宅より、
風になびくような稲や竹の方がどうして丈夫なのか「なぜだろう」と考えました。
「稲の茎も竹の幹も円形で中空をしている…
それならば、同じような形体をしている鉄パイプを使えば、
丈夫な住宅が出来るのではないか」
石橋氏は、早速この鉄パイプを使った家屋を
「パイプハウス」と名付けて販売したのです。

戦後のベビーブームの影響で、日本中の小学校は
子供たちで溢れていました。
増える子供たちで教室が足なくなっていましたが、
校舎の増築に間にあわず、
また増やした教室は何年か経てば、
使わなくなってしまうこともわかっていました。

そこで、考え付いたのが「パイプハウス」を利用した教室だったのです。
各学年の生徒の人数に合わせて、
仮設の教室を作り、その小学生が中学に進学したならそのまま、
中学へ持っていくという「移動教室」を生み出したのです。

仕事に追われる中、趣味の川釣りに出かけた時のことです。
夕暮れ近くになっても、家路に着かない子供たちが
たくさんいたのです。
心配になり尋ねてみると「帰っても、家が狭くて、勉強する部屋も、
遊ぶ場所もない」と答えたのです。

子供たちに簡単でもいいから自分の部屋を与えてあげたい。
そんな気持ちから、家の庭に簡単に建てられる「勉強部屋」を考えました。
柱には軽量鉄骨を使い、屋根と壁には断熱材を使った
「ミゼットハウス」を生み出したのです。
これが出発となり、お客様からの要望から
「トイレ」「台所」と付け加えて本格的な「プレハブ住宅」となるのでした。

出兵先の戦地で重傷を負い、回復したものの、
終戦後はソビエトの捕虜となりシベリアでの
抑留生活を送ることになったのです。
人に言えない苦労、いえ、人に言っても分かりようのない
苦労をしたからこそ生まれてくる精神力。
そのエネルギーをもって、創業からわずか5年足らずで、
大阪証券取引所に上場してしまったのです。

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