リサイクルで現実を知る
私の父親は90才にならんとしています。私も還暦過ぎの身で子どもがいません。そこで、身辺整理に取りかかりました。田舎者で、冠婚葬祭を自宅でとする意識が高く、その行事のための瀬戸物・寝具・家具が用意されていました。力仕事が出来る今が「老い支度」の好機と考え、使わない物を処分することとしました。
(古着屋で)
それなりの価格で購入した着物を古着屋に持ち込んだところ、目方でしか売れませんでした。確かに、昭和初期の身長は現代人より低いので需要は無いのかもしれません。「大島であれば孫まで着られる」とかのキャッチコピーでタンスに収めてきたが無価値でした。
(リサイクルショップで)
瀬戸物の処分にと、リサイクルショップに出かけると「箱には入っていれば購入します」との返事。成る程、買う身・売る身になればその通りと、自分を納得させて帰ってきました。買った金額を考えれば、産業廃棄物にする空しさだけが重く感じるだけであります。そう、年を重ねる毎に器は軽い物を好みます。瀬戸物は重く、料理好きの若い世代向きか。
(方丈で十分)
方丈記に人が住む空間は「広さはわずかに方丈」とされています。家が大きければ余計な物が増えます。例えが違いますが、政治も「最小不幸社会」と大風呂敷を広げても、お金がない、災害復興の現実に直面し、その存在を「宰相不幸社会」とさえ比喩されています。一国民生活も同じであります、高度成長時代は遠ざかりました。先人の生活スタイルの結末を反面教師とし、身きれいな終末を迎えたいと整理を行っています。
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