対案なき批判は現実からの逃避
私は多分にセッカチな性格なので、組織活動において問題の先送りを嫌います。国会での「税と社会保障の一体改革」論議を見ていると、「負担が増えるから消費税反対」、「増税より行政改革を」など対案なき批判は責任を嫌う現実からの逃避と映って仕方がない。
(将来世代へのツケは膨大に)
国家予算の半分を国債発行で賄う事は、物言わぬ他人(将来世代)にたかり、我が身さへ良ければとする餓鬼道に陥ってはないか。右肩上がりの経済、低い平均寿命を前提として設計された社会保障制度は時代遅れ、成熟した産業社会では利潤を基にする税の徴収では必要とされる税収は不足することは自明の理。全国民から公平に税を徴収すると共に、豊かさを生み出す財産・所得へと課税客体を移動しなければならない。これまでも、米から商工業活動へと課税の中心を変えてきた。今、租税制度の危機に正面から向き合い、国民は税負担と享受する行政サービスの均衡を考え直す時を迎えてはいないか。
(NHKドラマに見る思い)
「坂の上の雲」が終わり、「平清盛」が始まる。日本人の美徳に磨きをかけた江戸時代から、遅れた産業革命を追い求め、上り詰めた明治時代。そして豊かにはなったが、限定的な土地で一所懸命(東国的質素倹約思考)ではあるがガラパゴス化した現代。そんな内向きから、大海原にこぎ出しおおらかな明るさを取り戻す気運を抱かさせるのが平清盛か。何が起きるか分からないTPP問題も、したたかに交易で富を得た清盛を見習い、困難を乗り越える勇気で立ち向かうべきではないか。
(議論を嫌い、責任を厭う)
最近の傾向として奇妙なのは、大事な決定事項(例えば倒産)を金曜日夕刻に発表する産業界、深夜か海外での会議出発直前に重要事項を決定しマスコミ報道する政府関係者、総論賛成(財政改革)・各論反対(増税・福祉削減)と二枚舌の政治家など、責任を正面から受けることを逃げることが流行している事。
(何のための議会なのか)
民主主義の本質は、議会という合議制の機関を持ち、その機能を建設的に発揮させることではないか。その議会で十分な説明をしない政府与党、批判だけで責任逃れの免罪符を得たとする野党。これでは「何事も国民には知らしめるな」とする専制政治に逆戻りしていないか、我々は政治家を専制君子として選んではいない、国民の代弁者として国会で議論を闘わせ、国政の抱える問題を国民に知らしめることを期待しているに過ぎない。
(現状維持が一番か)
議会では国益を考えて欲しい。国の重要な政策決定(TPP・税と社会保障)について与野党共に党内一致が図れない様は「現状維持が一番楽だ」と逃げている政治家の姿が見える。国益を図り、国民の生活を守るために働くことを期待されている政治家の怠惰な姿にうんざり。日本の歴史はは西国から変わる習いとして、何事にも逃げずに行政改革を推し進める橋本大阪市長の維新の会に期待しているのが民意なのか。
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なお、私からのメッセージは・・・・・