食事への感謝と合掌について
テーブルに運ばれた料理を黙って黙々と食べ始める姿を目にすることがあります。家族で食卓を囲み、全員で感謝の合掌し、「いただきます」と声をだしてから頂く習慣の私からは異様に見える。
(食事をとおして、畏敬の念を育む)
自分たちのために食卓に並んだ食べ物は、数多くの生産者と流通の方々の手を通して運ばれてきた物、食べ残しはまかり成らぬと教えられ成長してきました。貧しい生活だからの習慣ではない、物事への畏敬の念を持つことの大切さを学ぶ儀式であったと考えます。
(人の字)
人という字は支え合うことを形に表していると云われてきました。冷凍食品をレンジでチンすれば食べられる食生活では感謝の気持ちが生まれにくいのかもしれません。食事での合掌はすべてに通じる。私のように60才になれば、ここまで生活ができたのは様々な人の助けがあったからこそとの思いが大きい。
(伝統的な考えをつなぐ)
日本という国には四季があり恵み豊かな国土に住むから、この恵みに感謝する自然な気持ちが日本人に育まれてきたと云われます。確かに、収奪しなければ食事にありつけない国の民とは違います。現代の日本人の食卓には世界中の貧しい人の働きによって料理はならんでいます、そんな素朴な感謝の気持ちを忘れてはならない。また、先人の努力、犠牲なくして現在の豊かさを手にしているのではない。
(震災で学んだ絆)
去年の東日本大震災は我々日本人に「絆・結い」という、田植えなどの時にお互いに力を貸し合ってきた農耕民族の伝統と誇りの強さを思い起こさせた。ここ半世紀、経済大国になって有頂天になっていた気持ちから、現実に目覚めろと警鐘を鳴らされた思いであります。日本は、世界の中心から離れて、欧米からすれば極東の地(ホー・イースト)であり、中国からすれば化外の地であります。国民一人ひとりの努力なしに何も手にすることができない国であることの自覚がいま求められている。その自覚の姿が感謝の合掌ではないか。
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なお、私からのメッセージは・・・・・