今日ご紹介する顧問先さんは「日蓮宗 大孝山 神野寺」さんです。
 意外?!と思われるかもしれませんが、お寺も会計まとめや決算作業で税理士がお手伝いする場面があるんですよ。

 お話は、ご住職の安永秀岳さんに伺いました。

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■本山勤務をやめて、明りが消えかかっていた小寺の住職に
―神野寺はどんなお寺ですか?
安永氏
「昭和28年に智妙院日泰上人(開山上人)が開山した寺院です。

 開山上人が遷化(=高僧や隠者が死ぬこと)の後は、第二世智妙院日円上人が法灯を継承しましたが、晩年は病気療養等の事情により、その明かりはほぼ消えかかっておりました。

 第二世上人遷化後、私の学友で二世上人の遠縁にあたる者から、住職がいなくなった神野寺の話をきいたのが最初のご縁です。

 明りが消えかかったこの寺を見て、再興に全力を傾けようと決断し、当時勤めていた大本山池上本門寺をやめて神野寺の第三世住職となりました。」

 そんな安永住職が最初に行ったのは、なんとお寺の修繕工事?!

安永氏「前住職が晩年体調を崩されていた関係もあり、当初、寺院はかなり荒れた状態でした。

 友人知人の力を借りながら毎日、自力で日曜大工していましたね。
 おかげさまで今ではお寺で法要などもできるようになりました。」

 ちなみに、神野寺ビフォーアフターの様子はブログ「神野寺だより」でご覧いただけます!

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■3人の師匠、雑誌取材・・・「ご縁」は不思議
 僧侶になるには、師僧(師匠)のもとで弟子として得度(=僧になるための出家の儀式)するそうです。
 安永住職には3人の師僧がいらっしゃるそうです。

安永氏「人を喜ばせる、美しいものを求める姿がとても魅力的だった一人目の師僧は私を僧侶の道に導いてくださいました。

 二人目の師僧のもとでは、僧侶としての基本的修行や研修に参加させていただき、また寺院運営の基本を学びました。
 大本山池上本門寺への勤務も、第二の師僧の計らいです。

 第三の師僧は私の叔父でした。
 三人目の師僧から言われたことはたった一言です。
『あなたに教えることは何もない。ただ一つだけ、大勢の信者さんを作ろうと思ってはいけない。たった一人、心の底からお上人様のおかげで助かりましたという人を作りなさい』
と。

 日蓮宗の僧侶たるもの、多くのものを救済しなければいけないのに、たった一人とは?
 当時20代だった私は戸惑いと反発を覚えたものです。

 その後、僧侶として人と会うたびに
『師僧が言っていたたった一人は、もしかしてこの人か?』
と思いながら過ごすうちに、気づけば出会うすべての方と真剣に接するようになりました。

 師僧の言葉の意味深さに気づきはじめましたのは数年前です。
 縁を大切に、日々真剣に人と接する、ということだと思っています。

 この師僧はすでに遷化しましたが、師僧の言葉は今も私の中で生き続けています。」

―それぞれに大切なものを学んだ3人の師僧とのご縁ですね。
安永氏
「ご縁といえば、先日、昭和40年生まれ限定で頑張っている人を掲載する雑誌『昭和40年男』に掲載されました。

 この取材の紹介者が雑誌社との打ち合わせのとき、小寺の再興が頭に浮かんだそうです。
 すぐにお電話をいただき、私の生まれた年を聞かれました。
 私、偶然にも昭和40年生まれなんですよ(笑)。これも縁ですね。」

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■変わりゆく社会に新しい寺院の姿を
―神野寺はホームページやブログがありますね。
安永氏
「寺院は地元の人の憩いの場であるべきだと思う一方で、交通手段やインターネットが発達した現在は私を、また神野寺を必要としているところに出向いて法務を行うことも重要だと思っています。

 時代の流れなのか、最近は寺院の朝のお勤めや鐘の音が騒音だと言われたり、僧侶を知らない子供もいると聞きます。

 今の時代にあった寺院とは何か、小寺の再興を通じて考えていきたいですね。」


■いずみ会計に一言!
安永氏
「世代的に自分に近く、このお寺を再興していくパートナーとなる先生を探していました。

 いろいろな相談に乗ってもらえるという印象を受けました。やんわりしているけれど芯のある、気持ちのいい方ですね。

 信頼できる税理士さんと共に、お金の面でも皆さんに信頼されるお寺をめざしています。」
(取材協力:ライター山崎実由貴)

日蓮宗 大孝山 神野寺
住所:東京都北区上十条5-15-6
電話:03-3909-8100