若い頃の苦労
私は高等小学校を卒業しただけで、14歳から父の水産業を手伝った。別に学費には困らぬわけであったが、自ら進んで中学にも商業学校にも行かなかった。
少しでも早く大人の世界へ出たかったからである。
そこで、学歴は高等小学校(現在の中学2年)で打ち切ると初めから決め、その間に朝早くと夜遅く、英語と簿記、珠算など補習に通い、集約的に人一倍の勉強を心掛けた。
「若いうちの苦労は、買ってでもせよ」と言われている。私の狙いも実はそこにあって、父と兄とを助けて、14歳から20歳頃まで、オトナの仕事は何から何まで、負けぬ気になって手伝った。手伝ったというより、むしろ立派に勤め上げた、というほうが正しい、と自分では思っていた。
私は今日(こんにち)、大きな会社組織の上に立ったが、学歴不足に少しの引け目も感じないのみならず、若いうちに志した特別の苦労が何事にも大きな自信の裏づけとなって働いている。
(大洋漁業社長・中部謙吉。原文のまま)