「異業種交流会」とは、遊び心なくして成功は難しい
「遊ぶ人」と言うと、よからぬ思いをする人が少なくない。
しかし、次のように書くと、解釈は異なるはずである。
遊説、遊学、遊牧、外遊、回遊、漫遊、遊撃。
直訳ではなく、こういう精神を持つ遊びをする人は好きである。遊び心とでも言うのだろう。
遊学といえば、外国に学ぶことを言う。ただ学問一辺倒だけでなく、その国の文化や歴史、習慣や国民感情など、あらゆることに気を配り、学び取る精神が欠かせない。
異業種交流会なるものが、約20年前、当時の通産省が音頭を取り全国で始まった。何しろ、役所の声掛け。全国に広まるのも早かった。
しかし当時から危惧する面もあった。「どこの誰が、よし、この特許に値する斬新な情報を、みんなのために公開してやろう、と思うものか」
それどころか、「だれか目新しい特許に当たるような新情報を、提供してくれないものか」と期待して集まっていたものだ。
この“斬新な情報を期待して集まる”人だけが多かったらしく、なし崩し的に異業種交流会なるものは崩壊した。
だから集まった人たちは、口々に不満を漏らしていた。
「異業種といっても、新しい情報なんか誰も持っては来ない・・」
異業種だから、警戒心も解けて目新しい情報も公開してくれるんじゃないか、という期待は見事に裏切られたのである。
もし異業種から情報を受け取り、その情報を加工して特許を取得するような人は、とっくに自分自身でやっているものだ。
たとえば、金属の粉末加工技術の技術者として、長い道を歩いたAさんは、定年を前に考えた。何か新しい技術を考え、それを役立たせて独立できないものか。
長い間考えて思い当たったのは、“豆腐を作るとき大豆の搾り粕は飼育動物の餌にしかならない。” “おカラといって活用するぐらいである。”ということ。これを自分の技術と融合できないものか。
“やがて、独自の粉砕技術を開発し搾り粕が出ない豆腐づくりに成功した。”全国の豆腐屋さんから引き合いが来て、契約豆腐屋も十軒をかぞえるまでになったそうだ。
遊び心なくして、このような成功はおぼつかない。