●“行動依存”が、記憶力を倍加する

多くの企業の中堅幹部や若者を指導したあるコンサルタントの話しである。

そして驚くべきいくつもの実態に遭遇し、びっくり仰天したらしい。

びっくり仰天・・の一つを紹介してみる。

レポートを書く課題を与える。それには、自社の電話番号も書くように指導する。ところがその電話番号を書けない人が半数を超える。なんと憶えていないのだ。

「ええ!、自分の会社の電話番号も憶えていないの?」

最初はびっくりしていたが、自宅の電話番号を憶えていない人も多いことを知り、「何が原因だろうか?」と考え始めて、答えらしきものに思い当たった。そして文明とは、人間の機能を麻痺させたり破壊するものでもあると思うようになったそうである。

原因はなんと、携帯電話やスマホにあったのだ。

〈電話番号は、電話にインプットしておけばいいや〉

そう思っているものだから、記憶の淵から番号がこぼれ落ちていたのである。

我々の記憶特性には、“行動依存記憶”というものがあり、行動しない知識や情報は、なかなか記憶として定着しないものだ。たとえば、ハワイの観光資料を山ほど見るより、ハワイを一回訪ねるほうが、はるかに記憶に残るものである。

「シンガポールの街は、とても綺麗だ」と十回聞かされるより、一回旅行したほうが、はるかに記憶に残り、残像がいつまでも記憶を助けるはずである。

学習の仕方には、ずばりこの“行動依存記憶”がモノをいい、しっかりと記憶に残る。

たとえば、本をじっくり読み込み、「よし、しっかり記憶したぞ」というAさん。

しかしBさんは、要所要所をメモにして、メモを読み上げて先へ進んだ。

この場合、九割以上の確率で、Bさんの記憶力に軍配が上がるはずだ。

 

●“書く手間”が記憶力を倍増する

学習したことをばっちり記憶に残したければ、メモ用紙でいいから、なるべく書きなさい。どんどん書くのが記憶の原則、と信じることである。

書いた内容次第では、声に出して読めばなおいい。

とても異色な存在の作家に安部譲二さんがいる。何がどう異色か知らない人は、ご自分で調べると雑学の勉強にもなるのではないか。

安部さんは、原稿を一つのセンテンスにまとめると、立って室内をグルグル回りながら、声に出して読むのである。自分自身に声で聞かせながら、校正や推敲の個所を確認するという。

室内を歩くのは僕もそうだが、軽い体操で全身の血流を促しているのであろう。

もう、お察しと思う。あなたが、“強い記憶再生力”を切望するなら、“書く手間”を惜しんではならない。頭の中だけで、“よし脳内に取り込んだぞ”と思うのと、“書く手間”を加えた場合は、その記憶の付加価値は手間の何倍も強いものになるはずだ。